FREEDOM〜気楽に生きたいバツイチママの毎日〜
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離婚を決めた!さて、どうしますか?

苦しむのはもうおしまい。子供を連れての離婚は相当な覚悟が必要だけど、どうしようもない現状に我慢して暮らしているよりは絶対に幸せになれると思いました。

眉間にしわを寄せて怖い顔してるお母さんより、笑顔のお母さんのほうが子供は安心するはずです。
どんなことがあっても、子供の笑顔が一番だから。
そしてまた自分らしく生きるために・・。

■ 離婚の理由 ■

離婚を考え始めてから5年。夫の家庭内での行動や、借金、車、お金の価値観、子供への意識、仕事をすることなどなど。疑問に思うことが山ほどありました。
結婚当初から給料は少なかったのですが、車にかける金額は半端ではありませんでした。その借金が終わらないうちに、また次の車を買うのです。そして事後報告。

膨れ上がる借金と、怠慢な仕事意欲。稼ぐことに無気力。
生活はどんどん苦しくなる一方で、返済の努力はまるでなし。
仕事を休んでパチンコ。生活費からお金を盗んでいるのも何度も発見しました。

次女の病気にも無関心。
育児も家事も任せきりで、モノグサな生活。寝ること食べることだけは人の倍。
給与と言われ受け取ったお金は借金だったことも。

ほとほと愛想が尽きました。

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 離婚告知 ■

次女の無呼吸が治まって来たころに言いました。

『あと1年の間に、この生活を立て直す努力をしてくれなかったら離婚します。ちゃんと考えておいてね』

次女の通院にかかる費用も実際は苦しいものでした。
でも、どうにか工面して交通費と治療費は確保していました。
まだ乳飲み子の次女を抱えて、外出から帰ったときに家の電気がつかない日がありました。電気を止められたのです。

そのころに住んでいたマンションはオール電化でガスはありません。ミルクのお湯を沸かすこともお風呂にも入れないのです。
真冬の寒い日でした。暖房も入らない部屋で上着を着たまま次女を抱いて途方に暮れました。

とりあえず夫の会社に電話を入れ、状況を話しましたところ、
『電力会社に電話して、何とか電気を繋いでもらえ』と。
電力会社に話をしたら、滞納している分を全て収めないとダメだと言うのです。3か月分・・・。どこにそんなお金があるのでしょう。

何があっても努力をしてくれない夫に呆れ果てました。
近所の友人の家に行き、事情を話してミルクのお湯を貰いました。なんて情けない!!

離婚を告知したのは、多分この日からそう遠くはなかったと思います。1年待つと言っただけでもかなりの猶予を与えたつもりでした。次女の病気を含め、子供を守る意識のない人に父親として存在して欲しくないと思いました。

夫は、離婚告知に対しても特別な反応はなく 「また始まったか」
くらいにしか思っていなかったのでしょう。
「分かったよ。何とかするよ」
とテレビを見ながら言われただけのような気がします。

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■ 甘く見た夫 ■

「このままじゃ別れるからね!!」と怒るたびに言っていたのかもしれません。離婚を本気で告知したことにも夫は気付いていませんでした。

慌てる様子もなく、仕事を増やすこともなく、何も変わらない夫にフツフツと怒りが湧いてくるだけです。
顔を見ているのも嫌になり、会話もほとんどしなくなりました。

それでも夫はのんきにテレビを見て、グウタラと寝るのです。
天気予報が雨だと仕事が休みになるので喜んでいます

一度聞いたことがありました。
『私が子供の世話や食事の仕度や洗濯をしていることに感謝をしてくれているのかな』
夫は・・「どうして? オレは働いて給料を持ってくるのが仕事。お前は家のことをやるのが仕事。お互い様だからいちいち感謝しなくていいだろう?」と言いました。 そうか!!

なのでその翌月の給料日に、夫が持ってきた給料を無言で受け取って棚にポンと置いたのです。誰がありがとうなんて言うもんか!
案の定、夫は怒り出しました。
『お疲れ様の一言もないのか!!』

冗談じゃないです。適当に働いて一家を支えるだけの収入も得ようとしない人にお疲れ様もないもんです。
それに『お互い様だから感謝しなくていいって自分で言ったよね?』と返し、無視です。

どこまで私を甘く見ていたんでしょう。
離婚への思いは一層固くなっていくばかりでした。

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■ 騙されてた ■

離婚を宣言してからちょっとでも頑張ろうという気持ちが出るのかと思いきや、全くのんきな夫です。借金の請求も激しくなるばかりで、生活なんてまともに出来ないでいたのです。

このころ、友人夫婦とよく行き来するようになりました。
うちの生活状態も見えてきたようです。心配して何度も話を聞いてくれていました。私が本気で離婚したいと考えていることを告げると、この奥さんが話をしてくれました。

『実はね、旦那さんから聞いてたんだけど、これを言ったら本当に怒ると思って言えなかったんだ。それに、ショックだろうし・・・』
と言い辛そうに話してくれました。

その夫婦の旦那さんが見かねて仕事を紹介してくれたんだそうです。でも、帰りは早いんだけど朝早くから出勤しなくてはならない職場で、給料は結構いいんだとか。何とか暮らしを立て直せるようにと声をかけてくれたらしいんですけど。
でも、それを断ったんだそうです。
理由は・・「今の会社、楽だから」

それともうひとつ。
その"楽だ"と言ってる会社の方から、休みが多いからと減給されていたんだそうです。その穴埋めに借り入れで私に給料だといって渡されていたことも知りました。

減給されても楽だからと言って何も変えようとしない夫の様子を聞いて、自分の中で結論が出ました。
そんなのんきなことを言ってる場合かと。
病気の子を抱えて、命を守ることだけに必死になってきたんですが、その私に対して 「金!金!って言うんだったら働いたら良かったじゃないか!」と言うんだそうです。

教えてもらって良かったんです。
これで気持ちに整理が着きました。

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■ もう無理だ ■

これまでの積み重ねで自分の気持ちは後戻りできないところまで達していました。あとはいつ行動を起こそうかと計画を立て始めていました。

あと半年で長女が保育園を卒園し、小学校に入ります。
その時しかないと思いました。
夫は夜勤と日勤を繰り返してほとんど家に居るときは寝ていましたので話す時間もないし、私は家の中のやるべきことをやって
非がないように過ごしていました。裁判でも起こされたら厄介ですから。

保育園の卒園対策の役員になり、その会議があったので保育園終了時間に合わせて出かけていったのです。夜勤の夫の夕飯はきちんと作って置いて行きました。
目が覚めた夫から電話が入り、「旦那が仕事に行くときにお前は何やってんだ!」と怒るのです。

はぁ・・・。もういい加減にしてくださいな。

これでも『旦那様』と呼べと?
もう無理です・・・。

ある夜、夜中に目が覚めました。
となりで寝ていた夫の寝息が気になりました。
『コイツが吐いた息が混ざった空気を吸っているのか?』
と思った瞬間、吐き気がしてトイレに駆け込みました。

その日から私は茶の間のソファーで毛布に包まって寝るようになりました。これ以上一緒に暮らすのは本当にもう無理なんだなぁと実感したのです。

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■ 離婚宣言 ■

長女の保育園の卒園もあと1ヶ月となった2月。
離婚の告知をしてから丁度1年経ちました。

事態は良くなることはなく、更に増えた借金の金額と夫のだらしなさは終わることがなさそうでした。長女の小学校入学前までに戸籍を移したいと考えていたのでもう待っている余裕はありません。

夫が帰る時間を見計らって、テーブルに食事と手紙を添えて置いておきました。もう別れる決心をしたという内容で書いたと記憶しています。
帰宅した夫が食事しながら読んでいるようでした。たたき起こされるかと思っていましたが、夫は手紙を読み終わるとテレビを見て食事を済ませて・・・。
そのまま布団へ直行したのです。そして爆睡。

翌日の夜。
『昨日の手紙を読んで何も言ってこないってことは、納得したと解釈していいんですね?』と問いかけた。
反論されてもやり直す気などありませんでしたが・・。

何を言っても、何をやっても危機感がない夫。
ここまでしてやっと、私が本気だと気付いたようです。
「これから頑張るから!」と土下座されましたが、今まで何度言ってきました?"これから"ではもう遅いのです。

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■ 離婚の準備 ■

夫の承諾なんぞ待っている気持ちはありませんでした。
離婚を宣言した翌日から、新居探しを始めました。
電気が止まったときにお湯を貰いに行った友人が住むマンションの上の階が空いていたのでそこに契約することに決めました。

長女が通う小学校はそこから徒歩2分くらい。
保育園のお友達も近所にたくさんいるので環境が大きく変わることもないだろうと思いました。下の階の友人も普段から子供たちを可愛がってくれていたので安心です。

籍を抜く前にマンションを契約しないと、母子家庭は信用がないので契約できないだろうと・・これも計画的。
契約してすぐに夫以外の住民票を移し、小学校の学区が変わるため入学許可証の申請をしました。これを早くやらないと、転校生扱いになり、入学式で名前を呼んでもらえないのです。

母子家庭の援助や手当ての種類を調べたり、生活費の計算などもしっかりやりました。借金は自分名義のものは完済していたので借金はありません。
家賃と光熱費と食べる分の収入があればなんとかやっていけそうでした。

次女の保育園探しも行ったのですが、長女が通っていた保育園に区役所を通さずに話をしたところ、空きが出たら入園して構わないとのことでこれもOK。

夫の収入から見て養育費は期待できそうにありませんでしたが、希望金額を提示して「反省するならこれくらいのことしてくださいね」と脅し・・・(笑)

そして、親に離婚することを報告しました。

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■ 引越し ■

新居が決まって必要なものをそろえて、引越し作業を開始しました。長女が保育園に行っている間、次女を連れて・・・?
次女はどこかに預けていたのかな・・?遠い記憶であまり思い出せません(笑)
通販で食器棚や電気の傘やカーテンを買って、掃除をしながら配置したときには次女はそばにいなかったような・・。

多分、下の階の友人の家で待たせてもらってたのでしょう。

近所のコンビにでダンボールを貰ってきて小さいものから荷造りをして自分で運べるものはセッセと運びました。
冷蔵庫や洗濯機などの家電は、結婚するときに私の親がそろえてくれたものなので遠慮なく持参させていただくことにしました。

ほとんど家出状態です。離婚の同意も完全に得られたわけではありませんが、行動を起こさずにはいられませんでした。

夫はこのままこの家に残るのか、実家に帰るのか、知ったこっちゃありません。1日も早く離れたかったのです。
早く他人になりたかったのです

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■ 離婚届 ■

順序が逆になりましたが、やっと離婚届にサインする準備が出来ました。離婚の相談に乗ってくれていた夫婦が最後の話し合いに立ち会って証人になってくれました。

本当にやり直す気はないのかと、この夫婦に聞かれましたが、もう気持ちは変わらないと私の意志を確認して証人の欄に連名してくれました。

その隣りで子供を抱きしめて『離れたくないよ!!!』と泣いていた夫でしたが、同情する気持ちも哀れむ感情もなく、冷めた気持ちで眺めているだけでした。そんなことをここでされても・・・
次女の病気のときに何してくれたの?
電気や電話が止まったときに何をしてくれたの?
子供に食べさせるご飯がないときに何をしてくれたの?
高熱で震えが止まらない子供を目の前にして何をしてくれたの?

アナタは何もしてくれなかった。

全て記入された離婚届を手に、翌日区役所に提出。
協議離婚が成立しました。 (平成7年3月10日)

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■ 離婚の時期 ■

離婚の時期はどうやって決めますか?
私は長女の小学校入学を境にこのときを待っていました。
そして、このときしかないと思いました。

子供に意思が出る年頃になればなるほど、慎重になるものなのでしょうか。それとも、思い立ったら即動くものなのでしょうか。

長女が3歳のころから離婚を考え始めて時期を待っていました。
決定的なことがあれば、もっと早くに結論を出していたかもしれません。でも、私は長女にきょうだいが欲しかった。
生まれた次女は病気だった。そんなこともあって、5年かけて
離婚への思いを募らせて行きました。

結果的には自分の選択は間違いではなかったと思っています。
ただひとつ、失敗だったのは「貯蓄」がなかったことでしょうか。
生活が苦しくて、毎日がやっとで、そこまで回らなかったのですが、できればこの5年間に貯蓄をしておきたかった。
パート収入からへそくりもしていましたが、次女の出産や病気の治療に消えました。車の免許も取っておきたかったですね。

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■ 子供の名前 ■

離婚届を提出するときに、氏名をどうするか決めます。
私は旧姓に戻さず、そのままにしました。

理由は・・・。
離婚後の生活空間が、離婚前の環境とほとんど変わらなかったので近所の人たちに名前が変わったことを知らせるのが「離婚しました」と言って歩くようで面倒だったこと。

同時に子供が名前を変わる事に戸惑いを見せたために、なるべく環境を変えないように努めたこと。

自分の実家とは疎遠になっていたため、あえて旧姓に戻すメリットも感じられなかったこと。

子供の名前が旧姓の苗字と相性が悪かったこと。

銀行や様々な登録を変更する手続きに戸籍やら住民票を取り寄せ余計な経費がかかる上に名前を変更したところで私自身の人間性は何も変化を感じなかったこと。

などです。

別れた人と同じ苗字を名乗ることに嫌悪感を感じる方もいるのでしょうが、私はあまり名前にこだわりはありません。
どちらかと言えば、子供の名前を変えたくないって言うだけの単純な気持ちが一番強かっただけのような気がします。

離婚後、実家の方へ戻る予定であれば旧姓に戻していたかもしれません。でも、実家は私にとっては安息の場ではないため、親と同じ苗字を名乗るよりはまだマシだったような気がします。

別れた人と同じ苗字であっても、戸籍がはずれれば同じ苗字の他人となるのです。何の縁もありません。

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■ 各手続き ■

離婚届
元夫婦の名前を記載します。証人も2名必要です。捺印。
親権者の記入欄があります。ここで親権者が決定します。
「名乗る氏」欄には離婚後名乗る名前を記入します。
ここで離婚後の苗字が決定します。

戸籍を作る
離婚届を提出しに行くとそこですぐに自分の戸籍を作らされます。夫の戸籍謄本から自分の名前にバツがつき、新しい戸籍を作るのです。このとき、旧姓に戻すのであれば実家の親の戸籍に入れるようです。
戸籍を作るには、新しい本籍地を決めます。実家の住所は名前が違うため却下されました。 いろいろ面倒です。
このときはまだ、自分の戸籍に子供を移すことができません。
子供の戸籍を移すためには家庭裁判所に申し立てをする必要があります。

子の氏変更の申し立て
子供の名前は家庭裁判所で『子の氏変更の申し立て』を行わないと自分と同じ名前になりません。戸籍は夫側に残ったままです。親権は取って一緒に暮らし養育していても戸籍上はまだ夫の子供となっているのです。
『子の氏変更の申し立て』をして、母側の戸籍に異動する手続きのあと1ヶ月くらいで自分の戸籍に子供の名前が入ります。
もし、母親が旧姓に戻していたとしたら、この手続きを行わないと役所関係から届く子供の名前は離婚前の名前のままになっています。
旧姓に戻していなければ気付かないのですが・・・。

児童扶養手当
所得制限がありますが、4ヶ月おきに支給される国からの手当てです。年々所得制限額が引き下げられ、平成18年度から離婚後5年を限度に減額か支給停止となる処置が取られています。
平成18年度以前から受給されている家庭は、平成15年度にさかのぼって5年とされるようです。
子供が18歳になる年の3月まで支給されるとありましたが、それも今後は望めそうにありません。
毎年8月に現況届けを提出します。
不正受給があった場合は全額返済と注意書きがあります。
お付き合いしている男性がいるだけで、生活の面倒を見てもらっていると判断され、不正とされる場合がありますのでご注意!

義務教育就学援助
公立の小中学校に通う子には就学援助が受けられます。
この支給額範囲は地域によってかなり差があるようです。
都内(江戸川区)では全額返金されましたが、千葉県(船橋市)では経費が差し引かれほとんど戻ってきません。
これを受ける条件は、児童扶養手当を受給しているか、生活保護を受けているか、母親が障害者認定を受けているかなど、制約があります。

ひとり親家庭医療費助成制度
これも地域によってあったりなかったりなようです。
所得制限もあります。
この制度があると、地域内の病院にかかったときに医療費が免除になるか低額で済みます。
ちなみにうちの地域では、診療200円、薬剤200円の計400円です。これも18歳までとされています。
末子が18歳になるまで母親も対象になっています。

経済支援
一時的に借り入れを受けることが出来ます。
就業支援では高校入学、大学入学時に奨学金を受けることが出来ます。金額には制限があり、保証人も必要な場合があります。地域によって決まりが違うようなので各区市町村役場で確認してください。

水道基本料金免除
これは地域によってなのでしょうか。
詳しくは分かりませんが、都内では「児童扶養手当」の証書を水道局に提出すると水道基本料金が免除になりました。
千葉に来てからは水道の名義が親なのでこの手続きは調べていません。自分の地域で確認してみてください。

JR通勤定期の割引
JRの交通機関では通勤定期が割引されるようです。
また、都営鉄道、都営バスでは証明写真を持って区役所で
証明書を貰うと運賃が無料になります。

手当てや援助金については地域よって違いがあるようです。
各区市町村の役所で『母子家庭支援課』などを訪ねて確認してください。親切な職員でしたらいろいろ教えてくれますよ。
あとは、地域の先輩シングルママから情報を得てください。
水道料金やJRについての情報は役所では教えてくれません。

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