FREEDOM〜気楽に生きたいバツイチママの毎日〜
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心


 

バツイチの気持ち。子供の気持ち。そんな話。



■ 母親がいない暮らし ■

私が19歳のとき、母は脳出血に倒れました。
左半身不随の後遺症を抱え、介護の生活。
なんとか自分の身の回りのことは出来るようになって6年過ごしました。

私が25歳のときに脳出血が再発。このときはもう、母は起き上がることも話すことも出来なくなっていました。家族の判断もつくのかどうか・・。無反応のまま寝かされて目だけが動く母を見て、この人の人生、何だったんだろう・・・と考えました。
まだ53歳でした。

2日目の発作のあと、3か月で他界。
この世に母親のない暮らしをすることになりました。
私、25歳。長女3歳でした。
まだまだ子育てのこと、主婦としての話。いっぱい教わりたいことがありました。

離婚した後、母がいないことが自分の中で大きな障害になりました。
「母がいれば・・」「母に聞きたい」
いつまで経っても母親って偉大です。

もう40歳を過ぎた私ですが、未だに母を求めます。
子育てで困ったとき、人生につまづいた時、母の言葉を捜します。

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■ 子育ての楽しみ ■

子供が心から喜んでる姿を見たとき。
小さなことでも、例えば・・。
大好きなメニューで作った食事に、大喜びでいつもよりたくさん食べてくれたときとか。
ディズニーランドに行ってMickeyを見てはしゃいでるときとか。
遠足のお弁当を残さず食べて帰ってきたときとか。

あぁ、この子達のためにまた頑張ろう!って思う。

そして、人生の節目に出会ったとき。
七五三、保育卒園、小学校入学・卒業、中学校入学・卒業、高校入学・卒業・・・
学校の行事で頑張ってる姿や、子供の成長を感じたときに、子供ってすごいなって思う。

家では見せない顔を持ってるときもある。
家では甘えて何もしないでいても、外ではこんなに頑張ってるんだなぁって。

一緒に笑って、一緒に泣いて、喧嘩したり、叱ったり、して欲しくないこともするけど、
子供の成長を見る度に、この子達のために頑張らなきゃって勇気を貰うんです。

子育てって、決して楽しいときばかりではないけれど、やっぱり姉妹がいて仲良くしてる姿を見ると、次女を産んでよかったなぁと思います。

これから先もまだまだ子供の先頭に立って導いていく必要がありますが、ゴールはもうすぐ。小学生だった長女も社会人になり、そのうちお嫁に行くんだろうな。

女の子で良かった。
女の子だからこそ大変なこともあるけれど、女の子だからこそ、女性同士になってお友達みたいに会話も出来るのが嬉しい。

いつか巣立って行ってしまうから、今しかないこの時期を大事にしていきたいと思います。

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■ 子育ての苦労 ■

子供がいるから守らなくちゃ!
自分の感情後回しで、どんな時でも自分に無理をしてる気がすることも。

母だって人間ですから、落ち込むこともあれば逃げ出したくなるときもあるのです。
でも、泣き顔を見せられない。

子供の笑顔が逆に苦しく感じる日もありました。
会社で、世間で、どんな風に思われているのかを知ったとき、それでも生きていかなくてはいけないんだなぁ・・・。

この子達の笑顔を消さないために、どれだけ自分の感情を殺したらいいの?
そんな気持ちも子供には分かるはずもなく、天真爛漫な子供の姿を見ると余計に落ち込むこともありました。

子供が何歳になったら、この大変さも少しは救われるだろう・・と思う。
保育園の送迎が終わったとき、あぁ、これで少しは長く働けるようになるな・・とか。
でも、小学校に入ったら、逆に帰宅時間が早くなって、夏休みのお留守番は大丈夫だろうか・・・とか、困難は次々と繰り返されていくこともあります。

大きくなったらなったで、親の思い通りには事が運ばなくなって、女の子ゆえ帰宅時間を心配したり、それなりにお金もかかってくる。

子供もきっと、こんな暮らしで思うことがあるはず。
それでも文句を言わずに私に着いてきてくれてるから、やっぱり最後は子供のために・・・って。離婚したことによって子供に負担をかけたくない。

そんな想いが強すぎるのかもしれません。

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■ 実家暮らし ■

離婚直後は東京江戸川区に住まいを構え、子供と3人で生活を始めました。
当時、長女は7歳、次女は2歳になる直前です。小学校入学を控えた長女の生活環境を変えないために、保育園のお友達が多く通う小学校の近くに引越したのです。

親子3人での生活が7年ほど続きました。
養育費が徐々に減っていき、最後はなくなりました。
養育費がないとアパートの家賃の維持が難しくなり、1〜2ヶ月滞納が続いて、家主から退去のお手紙が届いてしまいました。
策はいろいろ考えましたが即越せる場所が見つからず、 やむを得ず実家へ身を置くことにしたのです。

千葉県船橋市の実家には父が一人で住んでいました。
離婚するときに「子供を連れて帰ってくるな。俺の生活を邪魔するな」と言う父です。
どんなことかあっても実家に帰ることは避けたかったのですが、子供が安全に生活できる場所を確保することが先決だったのでどうしようもなくの決定でした。

実家での暮らしが始まりました。
父との確執は埋まることがありません。
子供の頃から父が嫌いな私と、家族に愛情をもてない父親。

孫である私の子にも 「うるさい!」 「目障りだ!」 「俺の居場所がない!」 と罵声を浴びせます。事あるごとに喧嘩が絶えず、「出て行ってくれ」と言われます。

親元で生活していると、児童扶養手当は家族の収入が合算され、親からは1円の援助がなくとも容赦なく打ち切られるのです。
養育費も児童扶養手当もないままに 暮らしは厳しいものですがそれでも父は出て行けと言うのです。出て行けるものならここには来ていません。

親ってもっといいものだと思っていました。
普段は厳しいことを言っても、最後は助けてくれるものだと・・。
確かにここで暮らすことには受け入れてもらえましたけど、それも本意ではないのも知ってます。

父が高齢で動けなくなる前に、早く出て行きたい。
親不孝かも知れませんけど、子供の頃からこの父親が嫌いで、すでに親子らしい気持ちの通い合いもありません。ただ、私がこの家で育ったというだけの実家です。

母がいたら、また違ったのかもしれませんが・・・。

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■ ヒキコモリ ■

実家に来た 平成13年8月。

それまで東京で仕事をしていた私は引越しのために辞めて来ました。
通勤に片道2時間はとても 厳しいです。
実家に来てから必死に仕事を探しましたが、約2年間は安定して働けるところが見つからず、無収入が続いたのです。それでも毎月の光熱費を請求する父の元で・・。

日雇いの登録制のアルバイトをしたり、借り入れをしたりしながら生活を繋いできました。
父を頼ることなく、自分で何とかしなくては子供たちの学校すら行かせられなくなる事態に。市役所に掛け合っても、児童扶養手当は規則だからと支給されず、 孫に当り散らす父を見ては胸を傷めていました。

こんなところに来なければ子供たちももっともっとのびのびと暮らせていたのに。
やっぱりどんなに苦しくても3人で暮らしていたかった。
仕事が見つからないことも、父親との絶えない諍いも私をどんどん追い込み精神不安定になっていきました。

私は家庭内のヒキコモリ。
元々出不精な私ですが、子供たちと出かけるのは嫌いではありません。
生活にゆとりがあれば、こんな家の中にくすぶることもないんですけど、なんせ限られた収入の中でかさむ教育費を維持するには、むやみに外食も出来ないのが現状で・・。

5DKの一戸建て。台所とトイレ、お風呂は1階で共同に使う。
私たち家族が寝起きしてるのは2階の3部屋。
父親は居間の隣の部屋で過ごしてます。

父が1階の部屋にいる時間帯は、私は自分の部屋から出ることができません。
「居る」と言うだけでひどく精神状態が悪くなります。
食事のときだけはどうしようもなく台所に入りますが、食事が終わったら即自分の部屋へ逃げるように篭ります。

顔を見ていることもウンザリなのです。言葉を発することもありません。
身を潜め、息を殺し、こうやってもう5年の月日を過ごしてきました。

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■ 甘い自分へ ■

思い通りに事が進まないこの生活。

自分の体力と精神力の限界を超えてまで頑張ってきたつもりではいるんだけど、
周りはまだまだだって言う。甘いって。

親が居て、自分も健康で、子供も順調に成長して、幸せな環境の人にはわからないこともあるのだろうけど、どうも星のめぐりが悪いのか・・・。

貧乏くじばかり引いている気がして、挫折を繰り返してきた。

もっとやらなきゃ。まだやれるはず。

気力は十分あるのだけど、体は正直に歳をとっているらしい。
でも、そんなことを理由にしてはいけないのだろうか。

時々子供が反乱を起こす。
私に対して何か苛立ちを感じているようだ。
まだまだ、まだまだ、休憩は許されないんだよ。

頑張れ自分。目標はもうすぐ。

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■ 自立したい ■

実家に来て5年。なんとか仕事に恵まれ、安定した暮らしが完成しつつ見えた。

実家から出るのもあと一息かなと思い始めた矢先に、どんでん返しの結末。
どうしても、私には幸せは来ないみたい。

勤めている会社のわがまま社長の気分で、給料は上がったり下がったり。
ここに来て、私がマトになり給与削減の処置がとられた。

あぁ、自立の道もまた遠くなった。

早く父親から離れて生活がしたいのです。
私らしく、また子供と思いっきり笑って暮らしたいのです。

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