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乳児突然死症候群と無呼吸発作

生まれたばかりの赤ちゃんが、突然呼吸を止めました。大事な大事な命が、奪われるかも知れないという恐怖を 味わいました。

幸い、命は助かりましたが、死と言う恐怖に直面し、 私はパニック発作を発症。

約1年半の、無呼吸発作との格闘の日々。

そのとき夫は・・・?

子供の命より、自分の睡眠時間のほうが大切だったようです。

■ 逆子の出産 ■

次女がお腹に入って8ヶ月検診のときに逆子と診断されました。
私も逆子で生まれて、母から出産の大変さを聞いてましたのでどうにか治せないかと体操したり寝る方向を変えたり、いろいろ努力はしたんですが。

逆子のまま臨月。出産を控えて緊急事態に備え、帝王切開の同意書と母子手帳は携帯するようにって医者から言われドキドキの毎日でした。

長女出産から5年のブランクがありましたけど、医師は自然分娩を選択し、出来る限り切りたくないとのことでした。初産なら間違いなく帝王切開になっていたそうです。

長女のときもお産は軽かったのですけど、なんたって足から出るようなので随分待たされました。ギリギリまで耐えて十分下がってから一気に引き出しました。

それでも2時間半で次女誕生。

でも産声がありませんでした。
子供の顔を見せてくれませんでした。
医師は生まれた赤ちゃんを別の台に乗せなにやら処置をしているようでした。

しばらくして産声があがり、医師もようやく笑顔で私に「おめでとう」って。

長女が生まれた同じ病院で同じ医師なのに、随分様子が違うなと・・・。
不安が過ぎりました。何かあったんじゃないかな。

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■ 仮死状態? ■

生まれたときに、顔を見せてもらえず、性別すら教えてもらえなかったのです。抱いて新生児室へ運ばれていく看護婦さんに
「どっちですか?」って聞いたらおくるみを捲って確認して
「女の子ですよ」って教えてくれた。

状況は良くないの??
不安がいっぱいになった。

長女を生んだときと同じ医師なのに。
長女は生まれてすぐにお腹の上に乗せて見せてくれた。
次女はなぜ?

母子同室で生んだ翌日からベッドの横に来た次女。
特に異常はなかったのだろうか。何の説明もなかったけど。

観察表に書かれていた。
『スキンカラー 5分後良くなる』

肌の色が悪かったって事だろう。
やっぱり産声が上がらなかったのは仮死状態だったからなのかな。さい帯脱出を起こしたそうなので、医師はかなり慌てた様子だったんだ。

呼吸が浅く感じたのも病院にいる間から、不安も襲っていた。

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■ 呼吸が浅い ■

病院では特に異常が見つからず、ちょっとデベソが気になったけど調べてもらったが腹筋が弱いせいだろうってことで、オムツで押さえて押し込むようにしていた。

このデベソ・・・見たら驚きます。
おへそからオチンチンがはえてるみたい3センチくらい伸びていたんです。この子・・・なんか違うかも。

それでも予定通り退院して、自宅での生活が始まりました。
どうも、呼吸が浅いのが気になります。
大きくぐずることもなく、おとなしく寝てくれるのですけど、長女のときほどではなくてもちょっとは泣いて欲しいと思ってしまいました。

上に子供がいると、赤ちゃんが寝ている間にお買い物に行ったり、保育園の送迎をしたり、寝てくれるのは楽だよ〜〜なんて育児の先輩が言ってましたが、私は寝ていても抱っこして、片時も離れずに過ごしていました。

夜の授乳のときも、赤ちゃんが寝ている間も何度か起きて呼吸を見たりして、私の不安は消えないでいたのです。

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■ 顔色が悪くなる ■

退院して半月くらい過ぎた頃、寝ているときや母乳を飲んだあとに顔色の赤味が抜けて黄疸の黄色が強くなることが多くなりました。やっぱりちょっとおかしいのかも。。と思う気持ちが強くなってきました。

黄疸なのかチアノーゼなのか分からなかったけど、顔が部分的にオレンジ色っぽくなっていた。眠っているときとお腹いっぱいのときにその色が強く出た気がします。

起きているときはご機嫌に手を振り回して遊んだり、ウックウックと声を出していたり、普通の赤ちゃんと何も変わらない。
グッタリしているわけでもなく、食欲も普通に定量を飲むのです。

抱き癖がつくからとか、長女のときはあまり抱かずになるべく寝かせていましたけど、次女のことは割りと抱いて過ごすことが多くなりました。いつも顔や呼吸を見ていないと不安でどうしようもなかったのです。

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■ 長女のときと何か違う ■

長女を育てて、よその赤ちゃんもいっぱい見てきて、育児書もたくさん読みました。生後間もない赤ちゃんの、顔色や呼吸や、排便の回数や色や・・・。そんなものが長女とはどことなく違いました。

肌の色がどす黒い感じがしたり、オレンジ色が強くなったり、眠ると呼吸している音が聞こえなかったり、胸の上下があまり良く分からなかったり、排便の回数はやけに少なくて、1日に2〜3回くらいしか出ないのです。長女はミルクで育ち、次女は母乳だったので足りなくて便秘してるのかとミルクを足したりしていましたが、様子はあまり変わりませんでした。

病院で「腹筋が弱い」と言われたことを思い出し、排便する力が弱いのかとも思いましたが、赤ちゃん特有のいきみもあまりしないのです。おへそはだいぶ小さくなってきました。
その代わり、こんなにお腹って張ってたっけ?って思うほど膨らんでいました。

5年前の長女の育児を思い出し、でも・・やっぱり・・
観察はやめられませんでした。

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■ のけぞり・ヒクヒック ■

どうもおかしいなぁ・・・と言う思いが強くなってきたころです。

生後2週間を越えたあたりでしたか。
いつものように母乳を飲ませてゲップをさせて抱いていました。
ウトウト眠りに入ったかなと思ったら、腕の中で 体をのけぞらせてヒックヒックと痙攣のような動きがあって、顔を見たら蒼白状態で白目をむいているのです。
そんな長い時間ではありません。
ヒックヒックとする様子も、ほんの数秒なんですけど、驚きました。そんなことが段々増えていったのです。

赤ちゃんは、反射で体が痙攣したり笑うような口の動きをしたり、寝ていると体をびくつかせたり、これだから異常だとは言い切れない部分もあったのですが、とても気になりました。

病院へ行ってみようかな・・・と言う思いもありましたが、起きているときは何の異常もないため、一時的なものかと様子を見ていたのです。痙攣のような動きは、お腹いっぱいのときだけなので、ゲップがちゃんと出ていなかったのかなと思いましたが、やっぱり心配でした。

私の勘違いかも?と思っていましたら、偶然夫が抱いていたときに同じ動きをしたようで、「この子怖い」と返されたことがあります。そうじゃなくて・・・心配じゃないの?

こんなことが起きてから、次女が寝ている間も頻繁に様子を見ていました。夜中の授乳が終わったあともしばらく抱いていてほとんど寝ずに眠っている次女を見ていました。

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■ お腹パンパン ■

お腹の張りが大きくなってきたなぁと思ったのです。
便秘なのかなとモミモミマッサージしたり授乳後のゲップをいっぱい出させたりしていました。

満腹のときのヒックヒックも続いていました。
あと数日で1ヶ月検診だからそのときに聞いてみるつもりでしました。沐浴も毎日時間を決めて行っていて、肌の状態も監察していました。顔色が悪くなるときは黄色かオレンジ色になるですが、普段はどちらかと言うと、赤と言うよりはどす黒い感じ。

泣くときは大きな声で泣くし、ご機嫌も悪くないし、ぐずることも少ないし、お腹の張りと便の少なさが呼吸となにか関係があるのか考えもしませんでした。

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■ 排便ができない ■

便が出ないのです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、オムツを換えるたびにチョロチョロと出ているものだと思っていました。長女のときも確かそうだったような気がするし、育児書にも便は頻繁にすると書いてあった気がしました。

便秘をしているとミルクの量が減ったり、機嫌が悪くなったりぐずったり・・・オナラをいっぱいしたりと見分けがつくのだろうけど。

次女の排便ペースは、1日に1〜2回。それもオムツからあふれるほどの量を一度に出すのです。チョコチョコと細かく排便をする赤ちゃんとは随分違いました。

便をすると、少しお腹の張りが和らぐ気がしました。
お腹の張りは便が出にくいためのようです。
赤ちゃんにとって、排便が出来ないのはやっぱり体には
あまり良くないみたいです。

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■ 呼吸してない ■

あと3日で生後1ヶ月を迎えようとしていた日。
1ヶ月検診も目前だったのに、この日の夜次女が呼吸を止めているのを見つけました。

長女に夕飯を食べさせ、次女に授乳をしてベビーベッドに寝かせしばらく長女が遊んでいるところを眺めていたのですが、急に胸騒ぎがしてベビーベッドを覗いたら、次女の顔色がまっ黄色になっていて顔を近づけたら呼吸が感じられませんでした。

慌てて抱き上げ、背中を強く叩きました。
何度か背中を叩いたら、大きく深呼吸するように
呼吸が戻りました。あぁ!よかった!!

寝ている子を急に抱き上げたものだから、長女が驚いて
「どうしたの?」って声をかけてきました。
長女に心配をかけたくなかったので、そのときは「何でもないよ」と返事をしましたが、不安が的中したことが私の恐怖心を誘い、死んでしまうのではないかと怖くてたまりませんでした。

生まれた病院に電話をしたのですが、翌日が1ヶ月検診の予約日だったので、そのときに来てくださいとのこと。
この日、私は眠れない一夜を過ごし一晩中次女の様子を見ていました。

仕事から帰宅した夫に様子を話していたのですが、この日夫はぐっすりと自分の寝室で眠っていました。

呼吸を止める回数が増えていって、この晩は確か2回ほど止まっていたように記憶しています。呼吸を止めても苦しそうな様子もなくそのまま段々と顔が黄白色になっていき、呼吸が戻っても顔色の蒼白さが残るようになりました。

これは確かに異常だと、実感したのです。

翌日、診察に行きました。
ごく普通に1ヶ月検診を行い、呼吸を止めてしまうことには重大さを感じさせない医師なのです。

「赤ちゃんは未発達で生まれてくると呼吸が止まるのは良くあることです。お母さんが目を離さないで見てあげていれば問題ないでしょう」ですって。

それには納得できず、その晩も一睡もしないで次女を見守り次の朝一番で都立の大きな病院に行きました。
呼吸を止めてからの様子を書き綴った日誌を持参して、前日に診てもらった医師の言葉も添えました。それにはやっぱり憤慨していました。呼吸を止めることが良くあることだなんて医師が言って良い訳がないと。
これはしっかり検査をして、呼吸を止める原因を探って、治療しなくてならないと、新生児の呼吸に詳しい病院を探してくれて救急車で転院することになりました。

このときこの医師に言われました。
『おかあさん、おかしいと思っていた期間がありましたよね。
おかしいと思ったら、笑われてもいいからすぐに病院に来てくださいね。おかあさんが"おかしい!"と思うことが一番の早期発見になるんですよ』 って。

おかしいと思ったら病院に行く。
これが大事なのですね。

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■ 入院・検査 ■

二晩寝ていない私でしたが、緊急で搬送されて入院することになった病院でこれまでの様子を細かく聞かれ、私が書いた観察日誌を見ながらインフォームドコンセプトを行いました。
夫は、まったく役に立ちません。何しろ呼吸が止まったと言うのに、危機感が全くないのです。

『呼吸が止まって背中を叩いて、赤ちゃんの呼吸が戻ったとき最初に吸いましたか?吐きましたか?』

『え〜〜〜と〜〜〜〜。
確か、吸ったと思います』

そんな細かい質問にひとつひとつ答えながら、 検査の順序の説明があった。まずは何もしないで呼吸の様子を見ます・・・と呼吸監視装置がつけられて保育器に入った次女を見た。

その部屋は、ナースステーションの中にあり、意識のない重傷な子達がいた。監視が必要な子ばかりの部屋だった。
毎日母乳を届けるため病院に通い、次女と面会した。

『お腹の張りが気になったのでガス抜きを行いました。そうしたら、相当な量の便が噴射して看護婦の服を汚すほどに大変なことになったんですよ』って医師は笑いながら話してくれた。
便とガスが腸の中に充満していて肺を押し上げ呼吸が苦しくなっていたのだろうと言う。
見たらお腹はすっかり平らになっていた。

呼吸のほうは時々乱れるけど、止まらないです。って・・・
どうして便が出にくいのか腸の検査を中心に行いますって言う説明だった。それには前日から絶食にしていたので空腹で泣いている次女はおしゃぶりをくわえさせられテープで固定された痛々しい姿でした。かわいそうに・・。

腸に閉塞はなく、狭くなっている様子もない。
耳鼻科では気道の状態を調べました。鼻付近の気道がちょっと狭く、アデノイドがあるせいだと言われましたが、これも致命的な症状ではないそうです。
呼吸器の検査も行い、肺のふくらみも異常なしとのこと。
心臓にも異常がなく、脳波も問題ないそうです。

半月後に一般病棟に移され、呼吸監視もなくなりました。
いくら病院にいると言え、とっても不安でした。
そうしたら医師が 『夜は看護婦が代わりばんこに抱いていますよ。昨夜は私も抱いて夜回りしました』 って。
夜泣きが続いていたそうでした。
うつぶせにすると良く寝るってことで、朝行くといつもうつ伏せで寝ていました。

1ヶ月かけて呼吸を止める原因が考えられる病気の、あらゆる検査を行いました。脊髄液を採って検査するときに、体を丸めた次女が私が見た黄色い肌色になって呼吸が止まったと医師が言っていた。検査を中断しようかと思うほど危険な感じがしたと。
このときに初めて、私の見た次女の異常をやっと信じてくれたような気がしたのです。

便は相変わらず出にくいため、看護婦さんが毎日綿棒浣腸で排便させていると聞きました。そのやり方を教わり、面会のときにお母さんがやるようにと言われました。

一般病棟に移ってからは、授乳と沐浴とオムツ換えは母親にやらせるのだそうです。離れている時間が長いため、母子のスキンシップと育児の様子や母親の精神状態の観察を行うためのようです。

病気の子に嫌悪感や恐怖心から世話が出来なくなる母親がまれにいるそうで、そうした場合は母親のカウンセリングが必要になるそうです。退院したあとのケアや看護をしていくために母親が一番重要な存在なのだそうです。

看護婦が不意に置いていったカルテを見たら、「母の様子を観察する」と書かれていました。
子供の治療だけでなく、母親も診られているのですね。

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■ 診断:SIDSニアミス ■

『おかあさんが"呼吸が止まった"と確信した事実は信じます。
それに伴う体の異常や肌の色や排便の様子も確かにおかあさんの思うとおりこのままでは悪い方向に行っていたかもしれません。 医局で会議を行い、この子の状況を判断しました。
ここまで病気がない状態で呼吸が止まった事実を考えるとしたら、医学的には『乳児突然死症候群』と名づけて良いという結論になりました。亡くなっていないので、『ニアミス』と言う言葉がつきます。日ごろからおかあさんが気にして観察をしていたので助かったのだと思いますよ』

こうしてこの子の病名が決まった。

そしてこのあとに医師の言葉が続いた。
『退院したあとに、恐怖のあまりおかあさんが赤ちゃんに神経質になって寝れないっていうことは考えないでください。この無呼吸は時々起こるかもしれないけれど、おかあさんも赤ちゃんばかりに構っていられない生活があり、睡眠もとらなくてはいけないのです。目を離したときに万が一のことがあってもそれがこの子の運命だと思って決して自分を責めることのないようにしてくださいね』

医師の励ましの言葉だとは思ったけれど、殺すわけには行かないと思ったのです。やっと生後2ヶ月になって自宅に戻ることが出来て、長女も待ちわびた退院で可愛い妹の帰りを待っていました。

うつぶせ寝のお陰で首が強くなっていて腹ばいで首をウ〜〜ンと持ち上げてキョトンとした顔でこちらを見ている次女の顔を忘れられません。
助かって良かった。無呼吸発作は怖いけれど、それ以上の苦痛を伴う病気がなくて良かった。

小児病棟で1ヶ月の間に入院しているたくさんの子供たちに会いました。死と隣り合わせの病気の子もいました。
内臓疾患や先天性の病気、白血病など。
最初に入った部屋で意識不明だった子が、この入院中に亡くなってしまいました。

子供の病気って、親にとってはとっても残酷です。
何よりも大切なものを奪わないで欲しいと願い、
退院してきました。

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■ 無呼吸発作との闘い ■

退院した日の夜から無呼吸発作と付き合う日々が始まりました。
昼間は目が届きやすいベビーベットに寝かせ、夜は自分の布団に寝かせて、眠っている顔を常に見れるようにしました。

入院していた病院の担当の医師は、無呼吸発作は1歳半くらいまで続くと言っていました。でも、呼吸監視装置を貸し出すのは20万くらいかかるし、家庭用で使えるものは用意できないと言われていました。自分の力で守っていくしかないのです。

夫は相変わらず高いびきで別室で寝ていました。
次女の様子を見てくれることもなく、私が眠れないでいることも交代してくれたことは一度もありません。短時間の留守番を頼んだときに、帰宅したら次女が寝ていて夫も一緒になって寝ていました。

排便が自力で出来るようになるまでは無呼吸が起きる可能性は高いと言う事でしたので、お腹にガスや便をためないようにと注意を受けていました。便の量や回数を日誌につけてお腹の張りを観察して、便が少ないときは綿棒浣腸で排便させていました。

次女がご機嫌よく起きているときに長女が構ってくれているほんの少しの間だけ、仮眠することが出来ました。

次女は低酸素状態で顔色は青白く、口や目の周りにはチアノーゼが出ていてその顔を見ているだけでとても不安になりました。
最初に呼吸を止めたときの様子が頭から離れず、次女の入院中もパニック発作を起こしていたのですが、次女が目の前で寝ている姿を見ていても少しでも呼吸が浅くなるとパニック発作を起こして眠れないので、それだったら寝ないでずっと看ていたほうが自分としては安心できたのです。

見ていると確かに呼吸を止めていました。
呼吸に合わせて上下に動くお腹がピタっと止まって肌の色がス〜と白くなっていきます。
オシリをポンポンっと叩いたり、体を揺さぶって刺激を与えると深呼吸をして呼吸が戻ります。

低酸素が続くと脳に酸素が行き届かず、後遺症が出ることもあると言われていました。最初に呼吸を止めていたときに、どれだけの時間無酸素状態だったのかが不明だったので医師もはっきりとは言いませんでしたが、人間は5分以上無酸素状態になると脳細胞の破壊が始まるんだそうです。

退院してから1ヵ月半経ち、生後3ヶ月になった次女を見ながら、自分の力だけで守って行けるのか不安になることもありました。

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■ 呼吸監視機との出会い ■

退院して1ヶ月半が過ぎた頃、小さな新聞記事を見つけました。

『乳児突然死症候群と無呼吸の関係』というタイトルで、乳児の無呼吸を研究している医師の発表が紹介されていました。
そして、その記事の中に 『母親の不安を解消することが先決』 とあって、この医師なら日常の不安も相談にのってくれるようです。
一度このような状態でお子さんを亡くされた方がまた次の子を授かったときに、赤ちゃんにとても不安を抱いて満足な育児が出来ないことが最大の問題点だと書かれていました。

病院名を見たら、自宅からそう遠くない場所だったので何とか診て貰えないかと新聞社に電話をかけ、この病院に電話をかけ、出来る限りのことをしました。

病院に電話をしたときにはこの医師に繋いでもらえなかったのですが、あとから折り返しこの医師から直接電話がかかってきました。次女の経過などを質問されて、私の不安な気持ちも話したところ 「本当なら別の病院からの紹介状がないと診察はしないのですが、診てあげますから来て下さい」と。

赤ちゃんの無呼吸ももちろん心配なのだけど、まずは母親が安定した精神状態で育児できるようになることが大事なんだとこの医師は言いました。
携帯用の呼吸監視器も無料で、おかあさんがもう無くても大丈夫と思えるまで貸し出していますよってことでした。

予約を入れた日に診察に行き、次女の睡眠中の呼吸を検査しました。機械的に呼吸が止まった状態にして次女がどう反応するかを調べました。

普通なら呼吸が止まったら苦しくてもがいたり目を覚ましたりするのですが、次女はやはりその反応が鈍く、医師も「無呼吸はありえる」と診断しました。

呼吸監視器の使い方を教わり、この晩から私も横になることが出来るようになりました。無呼吸状態が20秒続くとアラームがなります。一晩に3〜4回アラームがなり起こされました。

でも、これで安心して寝かせることができます。
この医師との出会いが私の生活を大きく変えてくれました。
月齢が上がって来るごとに排便もだいぶ自力で出来るようになっていました。離乳食も良く食べ、無呼吸以外には健康そのものだと感じることができました。

定期的に呼吸状態の検査に通い、1歳を過ぎた頃に 「もう無呼吸は大丈夫でしょう」 と言われました。
呼吸監視器の方は要らないと思うまで使っていて良いですっ言われましたが、夜間のアラームの回数もかなり減って全く鳴らない日も多くなっていました。
私も気付かず朝まで熟睡できていましたのでこのときにお返しすることにしました。

入院していた病院へも経過の検査や後遺症の診断や脳波を取るために通院していましたが、このときと同時くらいに通院も終了しました。

1年間の無呼吸との付き合いもこれでおしまいになりました。

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■ 後遺障害 ■

低酸素からの後遺症として考えられるものはありますが、新生児の場合は動かないので診断が出来ません。
成長の過程で、「言葉」 に出るか、「運動機能」 に出るか、「脳そのもの」 に出るかは観察していかなくてはなりません。

入院していた病院でそう言われて退院してきました。

成長は順調に見えました。
ハイハイを始めたのも早く、生後4ヶ月のころにはずりバイもしていました。首もしっかり座って椅子に座れるようになりました。
ミルクも良く飲んで離乳食も良く食べ、長女がいると嬉しそうに笑い長女の動きを目で追ってキャッキャと声を立てて笑っていました。カタコトで言葉も出始めていて、自分の意思も見せるようになりました。

ただ、このハイハイの様子で気になったのが『手首』
手のひらを広げずに、指を折り曲げたまま手首を外側に折り曲げてアザラシのようなかっこうでハイハイするんです。
自分でスプーンを持って食べようとしていたときも、手首を外側に折り曲げて、ひじを張りなんとも変な角度で口へ運んでいました。長女も「変な食べ方だねぇ」なんて言ってましたが、口に運びづらいものは手伝って食べさせていました。

腹筋が弱かったせいか仰向けからうつ伏せへ寝返りが出来ず、お座りもつかまり立ちも出来るのに寝転がってしまうと亀のようにジタバタとして自分で起き上がることができないでいたのです。寝返りが出来たのは生後10ヶ月のころでした。

手首の変形したハイハイの姿を写真に撮り、診察のときに病院へ持って行きました。整形でレントゲンをとりましたが骨自体が変形していることはなく、ものをつかんだりグーパーの動きもちゃんと出来るので様子を見ることになりました。

ハイハイは一生するわけでもないし、ちゃんとつかまり立ちも出来て伝い歩きもしていましたし、食べるとき少し不恰好だけど命あって他の部分は健康に育っているのでこれでよし!と思うことにしたのです。

手が多少不自由でも、日常生活に支障がなければかまわないと思い、これも個性だと思っておおらかに見守っていました。
他の動きを見ていると、本を捲ったりボールをつかんだり投げたり、そんなときはちゃんとまっすぐになっています。
この手首の変形も、1歳を過ぎる頃には目立たなくなっていました。大きな後遺症もなく、スクスクと育っている次女が愛おしくてなりませんでした。

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■ 内斜視 ■

3ヶ月検診だったか、6ヶ月検診だったか忘れましたが。
それまでの間も、随分寄り目だなとは思っていましたが、
『内斜視』との診断が下りました。

黒目の半分以上が目頭に入り込んでいてこのままでは弱視になると言われました。瞳が隠れてしまうので、物を見る時に首をかしげたり変な方向を向くかもしれないと言うのです。

行動範囲が広くなったら(アンヨが出来るようになったら)矯正メガネが必要になるかもとのことでした。
無呼吸もあって、メガネちゃん??

これも経過観察で様子を見ることに。
特に物が見えにくいこともなさそうだったのでそのままにしていましたが、段々と体が大きくなるごとに目頭に入り込んでいた黒目が寄り目ではあるけれど瞳が隠れないくらいまで外に出てきました。

3歳くらいまで寄り目が強かったけれど、段々と治ってきたようです。特に治療の必要もないだろうとのことで一安心。

現在13歳。極々普通に黒目があります。
近視ではありますが、何の問題もなく生活してこれました。

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■ ロート胸 ■

これも内斜視と同時に乳児検診で指摘されました。

胸の中央がべコンとくぼんでいるのです。
肋骨の変形で起きる先天性の奇形です。
くぼみの角度がどれくらい以上だったら手術が必要だと言われました。 重症の場合はこれも呼吸に障害を持つこともあるので、要観察のハンコが母子手帳に押されました。

どれだけ病気を持ってきたら気が済むんでしょう・・・。

次女の場合は、くぼみの大きさが観察範囲内なので、成長して目立たなくなることもあると言います。
女の子の場合、胸が膨らんで来たら全く分からなくなることもあるので内蔵に支障がでなければ特に問題はないそうで、心臓も肺も異常なしだったので、圧迫されることもなくこれも特に治療せずにそのままになりました。

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■ 鼻血 ■

1歳を過ぎた頃からでしょうか。
無呼吸も落ち着いて、元気に走り回って遊ぶようになっていた時期でした。ほとんど毎朝のように目を覚ました顔を見ると鼻血が流れた跡が顔に残っているのです。

耳鼻科では鼻の粘膜が弱いことと、アデノイドがあるのでいびきをかいたり鼻炎のような症状が起こり易いと言われていました。
確かに、赤ちゃんの割りには立派ないびきをかいていました。
夜泣きが少なく、よく眠る子だったのでいびきくらいかいてくれないと、呼吸しているかが心配で、このいびきも私にとっては子守唄になっていたのです。

よく鼻血を出すなぁと思ってはいましたが、そんなに気にはしていなかったのです。でも・・・。

2歳半くらいのころ、ある日の夜突然鼻血を出しました。
ポタポタと言う感じではなく、まるで水道の蛇口をひねったかのようにボタボタボタボタとすごい量が出ました。
詰め物をしても、すぐに染み込んで流れてきます。

鼻を押さえてしばらく経ったときに、鼻の中で固まった血液がゼリー状になってドロドロと出てきました。30分以上は止まらなかったと思います。このときに白血病で入院していた子の話を思い出してしまいました。私自身が倒れそうになってしまいました。

翌日耳鼻科へ行き、話しをすると鼻血は止める方法がないので厄介なんですと。鼻を押さえているしかないので時間もかかるし出血量も増えるから、頻繁に起きると貧血やショックを起こす可能性もあるって。

手足の出血は、その付近の動脈を絞めて止血するけれど、鼻血の場合首を絞めるわけにも行かないでしょう・・・と医師は言いました。確かに・・・。

このときからかなり頻繁に大量の鼻血を出すようになりました。
出始めたら2時間は止まらないのです。
こんな小さな体からこんなに血が出て良いものかと怖くてたまりませんでした。
のぼせたり、ほんの少し刺激のあるものを食べたりしただけですぐに鼻血を出します。ただでさえ顔色が青白いのに、鼻血を出し始めると顔の色が真っ白になってチアノーゼが出るのです。

このとき以来、次女はチョコレート類、ナッツ類、その成分を含む食品は一切禁止となりました。真夏の外出も控え、体温を篭らせないようにしました。頭がカーっと暑くなったら頚動脈を冷やしたり、入浴も温まり過ぎないように気をつけたり、暑い日にあまり外に出さないようにしたり。
夏休みでも冷房のきいた部屋でビデオを見たり、お絵かきしたり本を読んだりと子供なのにインドアな生活が多かったのです。
外遊びが嫌いなわけではありません。
小さいときからの鼻血の経験が、この子をそんな風にさせてしまったのです。

外で遊んでいると近所の方がお菓子を配ってくれるのですが、その中に必ずチョコが含まれていました。よそのお宅に遊びに行っても必ずチョコが出てきます。
3歳の子が 『チョコは食べられないの』と断っている姿を何度も見ました。本当は大好きなのに。

保育園や学校の給食でも食べてはいけないものを提出し、鼻血を出したときの対処法もお知らせしておきました。
チョコが入っていない食品でも食べると必ず鼻血を出すものがあって、鼻血を出した日の前日から何を食べたか統計をとって食べてはいけないものリストなどを作りました。

この鼻血との付き合いは、約10年ほど続きました。
鼻血を出さないようにと気をつけて生活していたために、行動範囲や食事が制限されて随分なストレスになっていたのでしょう。

時々チョコを隠れて食べていたようです。
鼻血を出すことが悪いのではなく、鼻血によって体内の血液が奪われることが良くないのだと何度も説明をして我慢させるしかありませんでした。

10歳を越えた頃から徐々に鼻血を出すことが減ってきて、これも成長することが解決になるのだろうかと思いました。
様子を見ながら少しずつチョコを口にするようになって、13歳の今では、今までの反動が出たかのように、チョコ類ばかりを食べています。

ずっと我慢していたチョコレートパフェを全部食べたときは本当に嬉しそうでした。外食でパフェを頼むときに、「チョコレートソースはかけないでください」と言う必要もなくなったのです。

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■ ぜんそく ■

呼吸器が総体的に弱かったので、風邪を引くと高熱を出して咳が止まらなくなり、すぐに肺炎を起こしていました。
気管支炎と肺炎を繰り返して、保育園を休みがちになり、そのために退職したこともあります。

保育園年長さんくらいのころから喘息発作を起こすようになってしまいました。喘息持ちではないんだけれど、気管支炎を起こしたときに呼吸困難になる 『喘息様気管支炎』という診断でした。

風邪を引いたら致命的なのです。
夜中に咳き込みが始まると段々と呼吸が出来なくなりとうとう吸うことも吐くことも出来なくなってしまいました。
苦しむ次女を抱いて背中をさすりながら夜間診療に飛び込み吸引をすると何事もなかったかのように落ち着くのです。

そんなことが数回繰り返されました。

次女の場合、風邪から来る弊害が大きいために風邪を引くことも敏感になってしまいます。暖房などで空気の悪い場所や砂ぼこりや人ごみでは咳が止まらなくなって次第に喘息発作に移ります。

東京に住んでいたころは、夜間診療の医師会が近くにあったので何かあればすぐに飛んで行けたのですが、千葉に来てから病院も少なく夜間診療は遠いために不安でなりません。

とにかく気管支を傷めないことを優先に生活させてきました。
運動会の練習中は気をもみます。練習が進んでくるごとに体調を崩していくのです。
冬の乾燥した空気の中で行う小学校のマラソン大会の練習のときは必ず校庭の砂ぼこりでやられてしまいます。練習に出るようにと学校からは言われていましたが、体力作りのためのマラソンが、逆に体を壊すのならやらなくていいと、担任と喧嘩をしたこともありました。

赤ちゃんのころの無呼吸の想いも重なって、大事に大事にしすぎているかも知れませんが、もしかしたら亡くなっていたかと思うと体育を休むことくらいどうでもいいことだと考えてしまうのです。

こんな大変な病気を繰り返してきた次女ですが、今では平均以上の体格で子供のころを思わせるような病弱なイメージもなく
元気に育ってくれました。
学生生活が終わるまでは、体育祭やマラソン大会などまだまだ気を許せません。でも体力は成長と共について来た様に思います。青白かった顔色も今ではすっかり日焼けして健康的な色になりました。なるべく風邪を引かないように注意して過ごせていけたらと思います。

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